「菅江冊子」の近代化をアップしました。

昭和20年代〜平成・令和にかけての菅江(米原市山東町)地域の生活変遷を、住民の証言を通して記録したものです。インフラ整備、産業構造の転換(農業→国鉄サラリーマン)、家屋の近代化、家電・通信の普及、戦後経済の動き、そして失われゆく民俗・俗信までを横断的に扱い、「便利になった代償として消えていったもの」への哀惜が静かに通底しています。

菅江の暮らしと変遷

昭和20年代から令和にかけての滋賀県米原市・菅江地域の生活変遷を、住民の証言で記録したもの。

インフラの近代化 — 簡易上水道(昭和33年)、農村下水道(昭和61年・市内最速)、菅江会館(平成7年)が順次完成し、井戸汲みや外便所の暮らしが過去のものとなった。

家屋と暮らしの変化 — 昭和40年頃まで茅葺き平屋が主流で、家の建て替え「普請」は親戚総出の手作業だった。昭和30年代中頃から瓦屋根二階建てが普及し、生活様式が一変した。

農業からサラリーマンへ — 鉄道の要衝・米原駅を擁し、菅江からは累計18人が国鉄に勤務。年1回の農業収入から毎月の給与制へ変わり、高度経済成長の波に乗って暮らしが豊かになった。

戦後経済と世相 — 1ドル=360円の固定相場、「舶来品」への憧れ、三公社(国鉄・専売・電電)の民営化など、時代を映す言葉と価値観の変遷が語られる。

近代化の思い出 — 力道山ブーム、脱水機付き洗濯機、電話交換手、東京オリンピックと新幹線工事、カラーテレビ、クーラー導入など、技術と生活の変化が次々と訪れた。

消えゆく昭和の風景 — 舗装前の道で排気ガスを嗅いで遊んだ話、瀉血(吸玉)の民間療法、原付免許の取得、キツネに化かされた話、ヒトダマの目撃談など、素朴で大らかな、そして少し不思議な暮らしの記憶が綴られる。

ウソのような本当の話

舗装前の県道は走る車が一日数台で、子供はトラックの排気ガスを嗅いで遊び、年一度の道ならし作業を「道イタメが来た」と呼んだ。ニワトリ・ヤギ・ブタ・ヒツジ・牛と家畜は多彩で、シジミの殻を砕いてニワトリの餌にするのは子供の役目。肩こりの隣人に祖母がカミソリと「吸玉」で瀉血を施す光景もあった。中学2年で原付免許を取らされた話、子供がバスの前に立ちはだかり路線バスを止めた話など、おおらかで人情味のある時代の記憶が並ぶ。

信じられていた話

雪の夜に長岡駅から菅江まで歩く時、加勢野のキツネ除けにタバコの火が必要だと大正生まれの父は語った。通い慣れた夫馬の道で迷うのは「キツネに騙された」せい。秋の夕暮れ、常性寺の鐘撞き堂あたりで赤い火球が上下しながら飛ぶヒトダマを見たという話も少なくなかった。「下駄の歯の隙間から覗けば誰の魂かわかる」といった俗信もあったが、近年はまったく聞かれなくなった。


菅江冊子の近代化


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